› 槍の又左衞門 › 利家スポット
加賀藩主 前田 利家は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。
幼名は犬千代。父は尾張国荒子城主の前田利昌、母は長齢院。
子に初代加賀藩主前田利長、二代藩主前田利常などがいる。
豊臣政権の五大老の一人。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」でも脚光を浴びたが、石川県では古くから県民の誇りとなっている人物。
幼名は犬千代。父は尾張国荒子城主の前田利昌、母は長齢院。
子に初代加賀藩主前田利長、二代藩主前田利常などがいる。
豊臣政権の五大老の一人。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」でも脚光を浴びたが、石川県では古くから県民の誇りとなっている人物。
2012年05月20日
百万石まつり
金沢市と金沢商工会議所で組織する百万石まつり実行委員会は、来月1日から始まる百万石まつりを盛り上げようと、市内60カ所におよそ3700個の提灯を飾り付けました。
今年は前田利家公役に俳優の川野太郎さん、お松の方役に女優の横山めぐみさんを迎え、金沢城への入場を再現します。
百万石まつりは6月1日からで2日に百万石行列が行なわれます。
今年は前田利家公役に俳優の川野太郎さん、お松の方役に女優の横山めぐみさんを迎え、金沢城への入場を再現します。
百万石まつりは6月1日からで2日に百万石行列が行なわれます。
2011年11月23日
石垣下に滝つぼ跡(金沢城)
金沢城公園の橋爪門復元と玉泉院丸跡整備に向けた石川県の発掘調査で、玉泉院丸の「色紙短冊積(しきしたんざくづみ)」の石垣の下から、なんと!!滝つぼ跡が見つかり、実際に水を流して観賞するための石垣だったことが明らかになったそうです。
また、橋爪門では柱の位置の確認から時代によって門の大きさが変化していたとのこと。
城西側にある玉泉院丸は、織田信長の娘で加賀二代藩主前田利長の正室・玉泉院(1574~1623年)の屋敷がありました。
その後、庭園として整備され、二の丸近くにある石垣は、17世紀後半に造られたとみられている。
また、橋爪門では柱の位置の確認から時代によって門の大きさが変化していたとのこと。
城西側にある玉泉院丸は、織田信長の娘で加賀二代藩主前田利長の正室・玉泉院(1574~1623年)の屋敷がありました。
その後、庭園として整備され、二の丸近くにある石垣は、17世紀後半に造られたとみられている。
2010年01月11日
甲冑
名古屋市中川区に住んでいたことがある。
ここは、前田利家の生誕の地です。
2002年、中川区にある前田利家の菩提寺荒子観音寺から、前田利家が身に着けていたと思われる甲冑が発見された。
保存状態はあまり良くないそうだが、利家が身に着けていた可能性が高いそうです。
ここは、前田利家の生誕の地です。
2002年、中川区にある前田利家の菩提寺荒子観音寺から、前田利家が身に着けていたと思われる甲冑が発見された。
保存状態はあまり良くないそうだが、利家が身に着けていた可能性が高いそうです。
2009年12月06日
尾山神社
尾山神社は、前田利家公、おまつの方をお祀りする神社。国重文指定の神門がみどころ。
金沢市民からも永年愛され続け、今では金沢の象徴とも言える。
元々は、利家を祭り慶長4年(1599年)に創建された卯辰八幡宮を、明治6年に卯辰山から現在地に移したもの。
尾山神社では2000年に新たに前田利家公とその妻まつの像が新たに建立されました。
卯辰八幡社は、明治11年、宇多須神社となっている。
尾山神社
〒920-0918 金沢市尾山町11-1
TEL/076-231-7210
続きを読む
金沢市民からも永年愛され続け、今では金沢の象徴とも言える。
元々は、利家を祭り慶長4年(1599年)に創建された卯辰八幡宮を、明治6年に卯辰山から現在地に移したもの。
尾山神社では2000年に新たに前田利家公とその妻まつの像が新たに建立されました。
卯辰八幡社は、明治11年、宇多須神社となっている。
尾山神社
〒920-0918 金沢市尾山町11-1
TEL/076-231-7210
続きを読む
2009年12月03日
利家の槍
今年の3月に北國新聞で興味深い記事を発見した。
利家が戦勝祈願で立ち寄っていたとされる、内灘にある小濱神社にて、利家の槍や秀吉の書状が公開され、文化財の調査を受けているとのこと。
槍は3.2メートルもあり、黒漆に金箔が貼られているもの!
末森の戦い直後に、神社に送られたそうである!
利家の豪傑さがうかがえますね。 続きを読む
利家が戦勝祈願で立ち寄っていたとされる、内灘にある小濱神社にて、利家の槍や秀吉の書状が公開され、文化財の調査を受けているとのこと。
槍は3.2メートルもあり、黒漆に金箔が貼られているもの!
末森の戦い直後に、神社に送られたそうである!
利家の豪傑さがうかがえますね。 続きを読む
2009年11月26日
宝円寺
宝円寺は曹洞宗の寺院で前田利家が建てた前田家の菩提寺です。
もともと福井県武生市にあったとのこと。
前田利家が1581年、能登へ入国したとき七尾に、そして金沢に移った際(1583年)新たに建立されました。
宝円寺には藩主一族の位牌が安置されており、利家の自画像と髪を納めた御髪堂があります。
前田利家が62歳で死去した際、4月6日に宝円寺にて葬儀を行いました!
前田家は、もちろん今も連綿と栄えております。
現在の当主は、毎年数回は宝円寺に訪れているそうです。
ちなみに私も週に3回は訪れています…
もともと福井県武生市にあったとのこと。
前田利家が1581年、能登へ入国したとき七尾に、そして金沢に移った際(1583年)新たに建立されました。
宝円寺には藩主一族の位牌が安置されており、利家の自画像と髪を納めた御髪堂があります。
前田利家が62歳で死去した際、4月6日に宝円寺にて葬儀を行いました!
前田家は、もちろん今も連綿と栄えております。
現在の当主は、毎年数回は宝円寺に訪れているそうです。
ちなみに私も週に3回は訪れています…